道から伊豆山神社へと続く約800段の石段の参道は、伊豆山の情緒を精一杯道行く人に伝えます。
伊豆山の町並みを見おろすかのように佇む伊豆山神社。
かつては修験道の霊場として栄え、さらに頼朝と政子のロマンスでも有名です。

流人・頼朝は伊豆山権現の住僧覚渕に学び、やがて北条政子と劇的な出会いを果たします。

治承2年の夏、北条政子は親の定めた山木兼隆との縁談を嫌い、婚礼の夜、宴席を抜け出し約七里の道のりを超え、
かねて想いを寄せていた伊豆山の頼朝の元へ。頼朝は政子を逢初橋の上で出迎えたと言います。
頼朝が鎌倉幕府を開いた後にも、伊豆山神社は源頼朝と政子に崇拝されました。僧兵3800人を有し、絶大な勢力を誇りました。

江戸時代には伊豆大権現と呼ばれ、徳川家康も参拝に訪れています。
   
 
 
平治の乱に敗死した源義朝の息子、源頼朝が伊豆韮山にある「蛭ヶ小島」に流されました。
幼少期より20年間、一番感受性の強い時期を流人として伊豆の大自然の中で過ごしたのです。
しばらくして、伊豆山走湯権現(いずさんそうとうごんげん)の別当密厳院(みつごんいん)の僧、阿闍梨覚淵(あじゃりかくえん)に師事するようになりました。
当時、走湯の神威と衆徒の勢力は絶大で、治承四年(1180年)その力をかりて源氏再興の旗上げをしました。

建久三年(1192年)、鎌倉幕府が出来た後も頼朝の崇敬は厚く、様々な寄進をする一方で、伊豆山権現と箱根権現を巡る
ニ所詣(にしょもうで)を行いました。
頼朝は4回、政子が2回、実朝は実に8回もの詣でをおこなったと吾妻鏡に記されています。
  
 
この「伊豆山神社」は、頼朝と政子が忍び逢い結ばれた事から縁結びの神として多くの参詣者を集めています。
鎌倉の尼将軍と名をはせた北条政子は、伊豆韮山の小豪族の娘。伊豆韮山の蛭ヶ小島に島流しにあった源頼朝と恋に落ち、お互い結ばれることを望みました。
しかし、政子の父、北条時政はこの結婚に大反対。
平家全盛の折、源氏の流人頼朝の前途は絶望的であり、また、源氏との縁組は北条家にとって命取りになると考えたからです。
時政は、政子を伊豆国の目代山木判官平兼隆に嫁がせることを決めてしまったのでした。
婚礼の夜、政子は宴席を抜け出しまし、日金七里の山路を越えて、伊豆山へ逃れ、足川の地にかくれ住みました。
そして、阿闍梨覚淵(あじゃりかくえん)の坊にいた頼朝は部下の知らせをうけ、政子と劇的な対面をしたのでした。
その時、2人が出会った場所が逢初橋(あいぞめばし)の上と言われています。
伊豆山は、ひたむきな愛を育んだ頼朝と政子の歴史ロマンの地なのです。
 
   
  逢初橋 太鼓橋(ここで出会ったとも云われる)   
 
  
伊豆山温泉観光協会・伊豆山温泉旅館組合公式ホームページ
〒413-0011 熱海市田原本町9-1熱海第一ビル地下1階
TEL:0557-81-2631 E-Mail:izusan@izusan.com